「朝、起きたときはまだ大丈夫なんです。でも、仕事を始めてしばらくすると、目がチカチカしてきて、頭が痛くなってきます。」
そう話してくださったのは、IT関係の会社に勤める40代の男性でした。
主な症状は、頭痛、吐き気、めまい、眼精疲労、首こり、肩こりです。
吐き気といっても、胃腸の調子が悪いときのようなものではありません。
「車に酔ったときのような、なんともいえない気持ち悪さです」
頭がふわふわと浮くような感覚があり、目の奥には重い痛みを感じます。パソコンに向かって仕事をしていると症状が強くなり、自宅へ帰ってからも頭痛や気持ち悪さが残っていました。
夜になっても神経が休まらないのか、寝床に入ってからなかなか眠れません。
ようやく眠れても眠りが浅く、夢をよく見ます。
「寝たはずなのに、朝から疲れが残っている感じがあります」
頭痛だけでなく、視覚、平衡感覚、首肩の緊張、睡眠まで、複数の症状が重なっている状態でした。
脳と目の検査では、大きな異常は見つからなかった
当院へ来院される前に、男性は脳神経内科を受診していました。
MRI検査と血液検査を受けましたが、画像上、血液検査上ともに大きな異常は認められず、片頭痛の可能性を指摘されたそうです。
痛み止めとビタミン剤を処方され、
「しばらく様子を見てください」
と言われました。
目の奥の痛みも強かったため、眼科も受診しています。
眼圧は左右とも21mmHgとやや高めでしたが、視力や眼底検査には異常がなく、軽いアレルギー性結膜炎が確認されました。結膜炎に対する点眼薬が処方され、眼圧については経過をみることになりました。
しかし、約2カ月様子をみても症状は良くなりませんでした。
「検査で大きな病気がなかったことには安心しました。でも、この気持ち悪さのまま仕事を続けるのがつらくて……」
そうしてインターネットで当院を見つけ、来院されました。
MRIや血液検査で異常がなかったことは、脳腫瘍や脳血管障害などの重篤な疾患を除外するうえで重要です。
一方で、画像検査に異常がないからといって、目を動かす機能、姿勢を安定させる機能、感覚刺激を処理する機能まで、すべて問題がないとは限りません。
そこで当院では、痛む場所だけを見るのではなく、眼球運動、平衡機能、運動協調、自律神経に関連する反応、頚部や顎周囲の筋緊張を順に確認しました。
初回検査で確認された複数の左右差
最初に血圧を測定すると、150/90mmHg台とやや高い値を示し、左右差もみられました。
一度の測定だけで高血圧や自律神経機能の異常を判断することはできません。緊張、睡眠不足、測定姿勢、直前の活動などでも数値は変動します。ただし、同程度の高値が続く場合には、施術とは別に医療機関での継続的な確認が必要です。
酸素飽和度は左右の手指で98%と96%でした。
この程度の差は、測定機器の誤差、指先の温度、末梢循環、測定位置などの影響を受けるため、数値だけで病的な左右差とは判断できません。ただ、血圧や瞳孔反応など、ほかの所見と合わせて全体の傾向を把握する材料としました。
触察では、斜角筋、後頭下筋群、咬筋、側頭筋に強い圧痛があり、触れると体が思わず逃げるようなジャンプサインが確認されました。
斜角筋は頚部の側面にあり、呼吸補助筋としても働きます。後頭下筋群は頭部と上位頚椎を細かく制御し、頭の位置や眼球運動と協調して働く筋群です。
また、咬筋と側頭筋は咀嚼に関わりますが、集中時の食いしばりや緊張によって活動が高まりやすい筋でもあります。
「仕事中、歯を食いしばっていることはありませんか?」
と尋ねると、
「気づくと、奥歯に力が入っていることはあります」
とのことでした。
立つ、狙う、切り替える機能にも不安定さがあった
閉眼ロンベルグ検査では、目を閉じた途端に身体の動揺が大きくなりました。
片脚立位では、左右とも姿勢を安定して維持することが難しい状態でした。
私たちは立っているとき、視覚、前庭感覚、足底や関節から入る体性感覚を統合しながら、身体の位置を調整しています。
目を閉じると視覚情報が使えなくなるため、前庭系や体性感覚への依存度が高くなります。閉眼時に動揺が大きくなる所見は、視覚以外の感覚を利用した姿勢制御が不安定になっている可能性を考える材料になります。
鼻指鼻試験では、指先を目標へ正確に運ぶ測定機能に低下がみられました。
さらに、手のひらと手の甲を素早く交互に切り替えるオルタネイトテストでは、片側の動きに縺れが生じました。
鼻指鼻試験や反復拮抗運動は、小脳を含む運動協調ネットワークの状態をみる検査です。ただし、これらの検査結果だけで「小脳に病変がある」と判断することはできません。
注意力、疲労、睡眠不足、緊張、運動経験などの影響も受けるため、複数の検査と症状の経過を合わせて評価します。
この男性の場合、MRIでは明らかな病変が認められていませんでした。そのため、器質的な小脳疾患を示すものではなく、現時点での運動調整機能に不安定さがあるという位置づけで捉えました。
眼球運動で確認されたオーバーシュート
瞳孔へ光を当てる対光反射では、片側の収縮反応がやや緩徐でした。
瞳孔反応には、網膜、視神経、中脳、動眼神経、副交感神経系などが関わります。ただし、瞳孔の大きさや反応速度は、室内の明るさ、睡眠、薬剤、緊張、測定方法などでも変化します。
したがって、左右差があるというだけで特定の神経障害を診断することはできません。今回も、自律神経系や中枢神経系の状態を考えるための補助的な情報として扱いました。
眼球運動検査では、ゆっくり動く目標を追うスムーズパースートに、小刻みなサッケードが混入しました。
本来、パースートでは視線が目標を滑らかに追い続けます。しかし、追視が不安定になると、遅れた視線を修正するためのキャッチアップサッケードが入り、目がカクカクと動いて見えることがあります。
素早く目標を捉えるサッケード検査では、目標を一度通り越してから戻るオーバーシュートが確認されました。
サッケードの距離や停止位置の調整には、前頭眼野、上丘、脳幹の眼球運動関連核、小脳虫部、室頂核など、複数の領域が関わります。
特に小脳は、眼球運動の誤差を検出し、目標位置で正確に止まるための調整に関与します。サッケードのオーバーシュートは、小脳性疾患だけにみられる所見ではありませんが、眼球運動の距離調整が不安定になっている可能性を考える所見です。
一方、ヘッドインパルステストや前庭動眼反射、いわゆるVORには、目立った異常は確認できませんでした。
つまり、頭を素早く動かした際に視線を目標へ固定する基本的な反射は比較的保たれている一方、自分の意思で視線を動かすパースートやサッケードの制御では不安定さがみられたということです。
片頭痛や前庭性片頭痛の患者では、すべての方ではありませんが、パースートやサッケードなどの眼球運動検査で異常が観察されることがあります。また、前庭性片頭痛の診断基準には、頭の動きによって誘発されるめまいや吐き気も含まれています。
ただし、今回の男性が前庭性片頭痛に該当するかどうかは、鍼灸院で診断できるものではありません。
左を見たときだけ、まぶたが半分閉じてくる
眼球運動検査のなかで、特に印象的な所見がありました。
目で円を描くように目標を追ってもらったところ、視線が左側へ移動したときに、両目の眼瞼の緊張が低下し、半目のような状態になったのです。
正面や右側では目立ちません。
「左を見ているとき、目が開けにくい感じはありますか?」
と尋ねましたが、ご本人には、はっきりとした自覚はありませんでした。
眼瞼を持ち上げる上眼瞼挙筋は動眼神経の支配を受けます。眼球の側方運動には外転神経核、内側縦束、動眼神経核などが連携して働きます。
しかし、「左方視によって両側の眼瞼トーンが低下した」という一つの所見だけから、特定の神経核や神経経路の異常を断定することはできません。
眼精疲労、瞬目の変化、注意の偏り、検査中の努力、顔面筋の緊張変化など、複数の可能性があります。
また、明らかな眼瞼下垂が持続する場合、物が二重に見える場合、日によって眼瞼下垂が大きく変動する場合などには、神経内科や眼科での精査が必要です。
この時点では、左方視で何らかの負担が増えている可能性を示す「臨床上の手がかり」として記録しました。
まずは過剰な緊張を下げ、入力を整理する
施術では、最初から首や肩へ強い刺激を加えることはしませんでした。
頭痛、吐き気、ふわふわ感、睡眠の浅さが重なっている場合、神経系が刺激に対して過敏になっていることがあります。強い刺激を一度に加えると、施術後にだるさや頭痛が増す可能性もあるためです。
まず呼吸の深さ、呼吸数、胸郭と腹部の動きを確認し、ゆっくりとした呼吸を行ってもらいました。
「大きく吸おうとしなくても大丈夫です。吐く息を少し長くしてみましょう」
呼吸を無理に深くするのではなく、肩や斜角筋を過剰に使わずに呼吸できる状態を目指しました。
その後、左右の感覚反応や運動反応を確認しながら、四肢末端へ刺鍼しました。
ここでいう機能神経学的な評価は、病名を診断するものではありません。眼球運動、姿勢、感覚、運動協調などを観察し、どの刺激を、どの程度、どの順番で入力するかを検討するためのものです。
四肢末端への刺激後に眼球運動や姿勢の変化を再確認し、刺激量が過剰になっていないことを確認してから、斜角筋、後頭下筋群、咬筋、側頭筋のトリガーポイントへ鍼施術を行いました。
後頭部から上位頚椎の感覚入力は、脳幹から上位頚髄にかけて存在する三叉神経頚髄複合体で、頭部や顔面からの三叉神経入力と収束します。
そのため、首の筋や関節から入る侵害受容性入力が、頭痛や目の奥の痛みと関連する可能性があります。
咬筋や側頭筋には三叉神経第三枝が関与します。長時間の集中や食いしばりによって咀嚼筋の活動が続くと、こめかみや顎周囲の不快感に加え、頭頚部全体の感覚負荷を増やす可能性があります。
トリガーポイントへの施術には頭痛を軽減する可能性を示した研究がありますが、今回の施術は呼吸調整、四肢末端への刺鍼、局所へのトリガーポイント鍼、生活環境の調整を組み合わせています。
そのため、経過を特定の刺激だけの効果として説明することはできません。
4回目で首肩は楽になった。しかし、仕事中の頭痛が残った
施術を重ねると、首と肩のこり感は少しずつ軽減しました。
4回目の施術時には、
「最初に比べると、頭痛が出る回数は減っています。首と肩もだいぶ楽です」
とのことでした。
しかし、症状がすべて消えたわけではありません。
「朝は大丈夫なんです。でも、仕事を始めると目がチカチカしてきて、そのあと頭痛になります」
この言葉が重要でした。
起床時から常に症状が強いわけではなく、仕事を開始してから症状が再現されます。
そこで、仕事の内容だけでなく、机、椅子、照明、モニターの数と位置、どの画面をどの程度見るのかまで、詳しく聞き直しました。
すると、男性が使用しているパソコンにはモニターが2台あり、メインモニターは身体の正面、サブモニターは左側に置かれていることが分かりました。
「サブモニターは、どのくらい見ますか?」
「かなり見ます。左の画面で資料を確認して、正面の画面で入力することが多いです」
つまり、正面と左側のモニターの間で、視線を一日に何度も往復させていました。
視線は正中から左視野側へ移動し、再び正中へ戻ります。右視野側へ動かす機会は少なく、左方向に偏ったサッケードが長時間繰り返されていました。
ここで、初回検査の「左方視で両側の眼瞼トーンが低下する」という所見が、仕事環境とつながりました。
もちろん、左側のモニターだけが頭痛や吐き気の唯一の原因だったとは断定できません。
ただ、左方視で特徴的な反応がみられた方が、仕事中に何時間も左方向への視線移動を繰り返しているという事実は、無視できない情報でした。
二画面モニターは作業効率を高める一方、配置や作業内容によっては、単一モニターより頭頚部の回旋量が増加することが報告されています。特に片方の画面だけを頻繁に使用する配置では、視線や頭部運動が一方向へ偏る可能性があります。
デジタル機器の長時間使用に伴うデジタル眼精疲労では、目の疲れや乾燥感だけでなく、かすみ、頭痛、首肩のこりなどが生じることがあります。
モニターを反対側へ移動してみる
「サブモニターは動かせますか?」
と尋ねると、
「配線を変えれば動かせます」
とのことでした。
そこで、左側にあったサブモニターを、しばらく右側へ移してもらうことにしました。
これは一般的な治療法ではなく、この方の検査所見と症状が出現する状況をもとに行った、個別の環境調整です。
左側を見ることを禁止したわけでも、右側を見続ければ神経機能が改善すると考えたわけでもありません。
長時間にわたって左側へ偏っていた視覚運動負荷を、いったん減らして経過を確認することが目的でした。
また、モニターを移動するだけでなく、身体ごと画面へ向けること、一定時間ごとに遠方を見ること、まばたきを意識すること、連続作業時間を区切ることもお伝えしました。
症状を悪化させる可能性のある入力を減らしながら、施術によって身体側の許容量を整えていく方針です。
11回目には、車酔いのような吐き気が消えた
モニター配置を変更してからも、症状は一度に消えたわけではありません。
しかし、施術と仕事環境の調整を続けるなかで、仕事中に目がチカチカする頻度が減り、頭痛が出ても以前ほど強くならない日が増えていきました。
「夕方まで仕事をしても、前のように気持ち悪くならない日が出てきました」
「目の奥の痛みも、ほとんど気にならない日があります」
そして11回目の施術時には、頭痛と車酔いのような吐き気は消退していました。
首肩の緊張も初回と比べて軽くなり、睡眠状態も徐々に安定しました。
現在は、1~2カ月に1回の間隔で身体の状態を確認しています。
モニターについては、一方向への負担が長期間固定されないよう、仕事の内容や体調に合わせて配置を見直してもらっています。
大切なのは、すべての方がモニターを定期的に左右交換すればよいということではありません。
一般的には、最も頻繁に使う画面を正面に置き、サブモニターを見る際には、目だけを無理に動かすのではなく必要に応じて身体も向けることが基本です。
今回の配置変更は、あくまで左方視で特徴的な反応が出ていたこの男性に対して行った、個別の対応です。
痛む場所だけではなく、症状が起こる場面を見る
この症例で改めて感じたのは、施術室内の検査だけでは見つけられない情報があるということです。
検査では、パースートへのサッケード混入、サッケードのオーバーシュート、姿勢動揺、運動協調の不安定さ、片側の瞳孔反応の遅れ、左方視での眼瞼トーン低下が確認されました。
しかし、それだけでは、なぜ仕事中に症状が悪化するのかを十分に説明できませんでした。
「朝は大丈夫だけれど、仕事をすると悪くなる」
という言葉から仕事環境を聞き直し、初めて左側に置かれたサブモニターの存在が分かりました。
今回考えられたのは、片頭痛に関連する視覚刺激への過敏性や、眼球運動を調整するネットワークの不安定さがある状態で、正中から左方向へ偏った視線移動が反復されていた可能性です。
そこに睡眠不足、頚部や咀嚼筋からの持続的な感覚入力、長時間の集中などが重なり、頭痛、眼精疲労、ふわふわ感、車酔いのような吐き気を維持していたのではないかと考えました。
片頭痛や前庭性片頭痛では、視覚刺激や身体の動きに対する感受性が高まり、乗り物酔いに似た症状を感じる方がいます。前庭性片頭痛患者では、発作のない時期にも動きの知覚閾値が低く、動揺病への感受性が高いことを示した研究があります。
また、睡眠と片頭痛は一方向の関係ではありません。
睡眠不足が頭痛の誘因になることがある一方で、頭痛や感覚過敏によって眠りが浅くなる場合もあります。睡眠の質が低い人ほど片頭痛の負担が大きいという関連も報告されています。
この男性の回復も、鍼施術だけ、モニター変更だけ、睡眠だけで説明できるものではありません。
複数の負担が重なって症状が続いていたため、複数の要素を一つずつ整理した結果と考えています。
「異常なし」と「問題がない」は、必ずしも同じではありません
MRIや血液検査、眼底検査などで異常がなかったことは、とても重要な情報です。
まず重篤な疾患が除外されているからこそ、その次の段階として、眼球運動、姿勢制御、筋緊張、睡眠、仕事環境などを詳しくみることができます。
一方で、これまでにない激しい頭痛、突然発症した頭痛、発熱を伴う頭痛、手足の麻痺や感覚障害、言葉が出にくい、意識状態がおかしい、物が二重に見える、眼瞼下垂が進行する、繰り返し嘔吐するなどの症状がある場合は、鍼灸施術より先に医療機関を受診する必要があります。
眼圧や血圧についても、施術による変化だけで判断せず、医師の指示に従って経過を確認することが大切です。
「原因が分からないから、我慢するしかないと思っていました」
男性は、経過が安定してきた頃にそう話してくださいました。
痛みのある首や肩だけをみていたら、左側のモニター配置にはたどり着かなかったかもしれません。
反対に、モニターの位置だけを変えても、強く緊張していた斜角筋や後頭下筋群、咀嚼筋、浅い呼吸、睡眠状態、眼球運動の不安定さが残っていれば、十分な変化は得られなかった可能性があります。
身体は、仕事と切り離されて存在しているわけではありません。
毎日どこを見ているのか。
どの方向へ身体を向けているのか。
どのくらい休まず集中しているのか。
眠れているのか。
歯を食いしばっていないか。
症状の場所だけではなく、その症状が生まれる時間と環境まで丁寧にたどることで、ようやく見えてくる負担があります。
今回の症例は、検査所見と日常生活の情報がつながったことで、回復への道筋が見えてきた一例でした。
※本記事は一症例の経過を紹介したものであり、すべての頭痛、めまい、吐き気、眼精疲労に同様の原因や結果が当てはまるものではありません。症状が強い場合や急激に悪化した場合は、まず医療機関へご相談ください。
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