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 動物行動学と機能神経学から考える「脳の環境評価」という視点

第1部

「雨が降る前になると頭痛がする。」

「台風が近づくと耳鳴りやめまいが強くなる。」

「天気が悪い日は体が重く、何となくやる気が出ない。」

このような症状は一般的に「気象病」あるいは「天気痛」と呼ばれています。

近年ではテレビやインターネットでも取り上げられることが増え、「気圧の低下が原因」と説明されることが多くなりました。

実際に、気圧や湿度、気温の変化と体調変化の関連については研究が進められており、内耳や自律神経系が関与している可能性も報告されています。

しかし、臨床で患者さんを診ていると、それだけでは説明できない場面が少なくありません。

例えば、同じ台風の日でも普段通り元気に過ごしている方がいます。

反対に、小雨程度でも強い頭痛やめまいが出る方もいます。

室内に一日中いて外へ出ていないにもかかわらず、症状が悪化する方もいます。

もし気圧だけが原因なら、同じ地域に住む人はもう少し似た反応になってもよいはずです。

もちろん遺伝的な要因や既往歴など個人差はあります。

しかし、それだけでは説明しきれない現象も多く経験します。

そこで私は、気象病を「気圧」という一つの要因だけではなく、脳が環境全体をどのように評価しているのかという視点から考えてみたいと思うようになりました。

 

 

 

気圧は原因なのか、それとも情報なのか

 

ここで少し視点を変えてみます。

私たちの脳は一日に膨大な量の感覚情報を受け取っています。

視覚。

聴覚。

嗅覚。

皮膚感覚。

筋肉や関節からの感覚。

内臓からの情報。

そして外の環境では、

気圧。

湿度。

気温。

風。

光の強さ。

雨音。

匂い。

こうした情報が絶えず脳へ送られています。

重要なのは、脳はこれらを一つずつ独立して処理しているわけではないということです。

脳は膨大な情報を統合し、

「今、この環境は安全なのか、それとも危険なのか」

という一つの評価を行っています。

つまり、気圧は原因というより、

環境を評価するための一つの入力情報

として考えることもできます。

この視点に立つと、なぜ同じ気圧でも人によって反応が異なるのかを考えやすくなります。

 

 

 

生物にとって最も重要な仕事

 

私たちは脳というと、

「考える」

「記憶する」

「運動をコントロールする」

というイメージを持っています。

もちろんそれも重要な役割です。

しかし、生物学的に最も重要な役割はもっと単純です。

生き残ること。

生物は何億年もの進化の中で、

「どうすれば生き残れるか」

を最優先に神経系を発達させてきました。

痛み。

恐怖。

疲労。

眠気。

これらは不快な反応ですが、生物にとっては命を守るための重要なシステムでもあります。

私は、気象病もこの生存戦略という視点から見ることで、新しい理解ができるのではないかと考えています。

 

 

 

動物は悪天候のとき何をしているのか

 

この疑問を考え始めたきっかけは、動物行動学でした。

雨や台風、強風の日、野生動物はどうしているのでしょうか。

実は、多くの動物は悪天候になると積極的に活動しません。

鳥は木陰や巣へ戻ります。

小型哺乳類は巣穴へ入ります。

大型哺乳類も活動範囲を狭めることが知られています。

彼らは「体調が悪いから休む」のではなく、

危険な環境では活動を控える

という生存戦略を選択しています。

 

ここに、気象病を考える大きなヒントが隠されているように私は感じています。

 

 

第2部

 

動物は「気圧」ではなく「環境」を見ている

 

生き残るための環境評価システム

 

野生動物は悪天候になると活動量を減らすことが知られています。

鳥は巣や樹木の風下へ移動します。

小型哺乳類は巣穴へ戻ります。

シカやイノシシも普段より活動範囲を狭めます。

もちろん例外はありますが、多くの動物は「危険が過ぎるまで待つ」という行動を選択します。

これは決して「体調が悪くなったから休んでいる」のではありません。

生き残るために最も合理的な行動を選択しているのです。

では、彼らは何を危険だと判断しているのでしょうか。

 

 

 

雨そのものが危険なのではない

 

私たちは「雨の日は気圧が低いから」と考えがちです。

しかし、野生動物にとって重要なのは、気圧という数値ではありません。

悪天候では、

視界が悪くなります。

風で木々が揺れます。

雨音によって周囲の音が聞こえにくくなります。

湿度の変化によって匂いも変わります。

地面は滑りやすくなります。

つまり、

外界から得られる情報の質そのものが低下するのです。

これは動物にとって非常に重要な問題です。

なぜなら、生き残るためには、

捕食者を見つけること。

危険を察知すること。

安全な場所へ逃げること。

これらを正確に行う必要があるからです。

環境情報の精度が下がるということは、生存率そのものが低下することを意味します。

 

 

 

脳が評価しているのは「不確実性」

 

ここで近年の神経科学と重なる考え方があります。

脳は単に刺激へ反応しているわけではありません。

現在では、

脳は未来を予測し続けている

という考え方(Predictive Processing:予測処理)が有力になっています。

例えば歩くときも、

「次はここへ足が着く」

「床はこのくらい硬い」

「身体はこのくらい揺れる」

という予測を常に作っています。

そして実際の感覚情報との差を比較しながら行動を修正しています。

つまり脳は、

世界を"受け身で見る"のではなく、

"未来を予測しながら行動する"

臓器なのです。

悪天候ではどうでしょうか。

風が吹く。

雨が降る。

暗くなる。

音が聞き取りにくい。

これらはすべて、

環境の予測精度を低下させます。

つまり、

「何が起こるかわからない環境」

になるのです。

 

 

 

生物は「予測できない環境」を嫌う

 

野生では、

予測できない出来事は命に直結します。

草むらが急に揺れた。

匂いが突然消えた。

聞こえていた音が聞こえなくなった。

これらは捕食者が近くにいる可能性を意味することがあります。

そのため、多くの動物では、

環境の不確実性が高まるほど、

活動を控え、

慎重になる行動が観察されます。

これは恐怖ではありません。

生存戦略です。

私はここが非常に重要だと思っています。

 

 

 

人間にも同じ仕組みは残っているのか

 

ここからは私自身の考察になります。

人間も約30万年にわたり自然環境の中で進化してきました。

都市で生活するようになった歴史は、ごく最近のことです。

もし人間にも動物と同じような環境評価システムが残っているとすれば、

悪天候の日に、

眠くなる。

疲れやすい。

痛みが強くなる。

外へ出たくなくなる。

こうした反応は、

身体の故障ではなく、

活動を控えるよう促す反応

として理解できる可能性があります。

もちろん、この考え方を直接証明した研究はまだありません。

しかし、動物行動学、予測処理理論、慢性疼痛研究を統合すると、一つの仮説として十分検討する価値があると私は考えています。

 

 

 

「気圧が悪い」のではなく「脳が慎重になっている」

 

私は気象病を診るとき、

「気圧に弱い体質」

という言葉だけでは十分ではないように感じています。

むしろ、

脳が環境全体を評価した結果として、慎重なモードへ切り替わっている

と考える方が、多くの患者さんの反応を説明しやすいことがあります。

つまり、

気圧は原因ではなく、

脳が環境を評価するための入力の一つです。

本当に変化しているのは、

脳の環境評価

なのではないでしょうか。

 

 

 

私が臨床で感じていること

 

ここで一つ、日々の診療を通して感じることがあります。

同じ低気圧でも、症状が強く出る日とそうでない日があります。

睡眠が十分取れている日は比較的楽なのに、疲労が蓄積している日は強く反応する方もいます。

精神的なストレスが続いたあとに、いつも以上に天候の影響を受ける方もいます。

もし原因が気圧だけであれば、このような違いを説明するのは難しいでしょう。

しかし、

「脳がその日の身体の状態や環境を総合的に評価している」

と考えると、臨床で見られる多くの現象が一つの流れとして理解しやすくなります。

 

 

 

第3部

 

痛みは「故障」ではなく「行動を変えるための反応」なのか

 

Brain Alarm Systemという考え方

 

ここまで私は、

気象病を「気圧」という一つの現象ではなく、

脳が環境全体をどのように評価しているのか

という視点から考えてきました。

では、その評価は脳のどこで行われているのでしょうか。

ここからは、現在の神経科学の知見と、私自身が臨床を通して整理している考え方を合わせてお話しします。

 

 

 

Brain Alarm Systemという臨床概念

 

私は日々の臨床の中で、

脳には

「今は安全か、それとも危険か」

を統合的に評価するシステムがあると考えています。

これを便宜的に

Brain Alarm System(脳の警戒システム)

と呼んでいます。

これは正式な医学用語ではありません。

扁桃体、視床下部、脳幹、前帯状皮質、島皮質、小脳など、生存や恒常性維持に関わる神経ネットワークを臨床的にまとめた概念です。

私が患者さんを評価するときは、「どこが悪いか」よりも、「このシステムがどの程度警戒状態にあるか」を意識しています。

 

 

 

脳の仕事は「危険を探すこと」ではなく、「生き残ること」

 

ここで一つ重要なことがあります。

脳は危険を探すために存在しているわけではありません。

目的はもっとシンプルです。

生き残ること。

そのために、

危険を予測し、

エネルギーを管理し、

身体を守る方向へ反応を変えています。

つまり、脳は「正確な世界」を作ることよりも、「生存率の高い世界」を作ることを優先していると考えられます。

 

 

 

痛みは脳からの「止まって」というメッセージかもしれない

 

慢性的な痛みの患者さんを診ていると、

画像検査では大きな異常が見つからない。

炎症もほとんどない。

それでも強い痛みが続く。

こうした方に多く出会います。

もちろん、すべての慢性痛が同じ機序ではありません。

しかし一部では、

痛みそのものが「組織を守る」ためではなく、

行動を制限するための反応

になっている可能性があります。

例えば足に強い痛みがあれば、人は自然と歩く距離を減らします。

首が痛ければ、急な動きを避けます。

疲労感が強ければ、横になります。

つまり症状は、「身体が壊れた証拠」ではなく、「活動量を調整するための手段」として働いている場合もあるのです。

これは動物が悪天候で活動を控える行動とも、どこか共通しています。

 

 

 

「警戒」が続くと何が起こるのか

 

生物にとって、一時的な警戒は必要です。

しかし、その状態が長く続くとどうなるでしょうか。

交感神経の活動が高まりやすくなる。

呼吸が浅くなる。

筋緊張が続く。

睡眠の質が低下する。

痛みを感じやすくなる。

疲労が抜けにくくなる。

これらは独立した現象ではなく、「警戒状態が続いた結果」として一つの流れで理解できる場合があります。

私はこれを、Brain Alarm Systemが過剰に働いた状態として考えています。

 

 

 

私が検査で見ているもの

 

患者さんから、

「なぜ目の動きを見るのですか?」

「なぜバランスを調べるのですか?」

と聞かれることがあります。

私は筋力だけを見ているわけではありません。

眼球運動には、中脳、小脳、前庭系、大脳皮質など広い神経ネットワークが関わっています。

姿勢制御には、視覚、前庭感覚、体性感覚、小脳、脳幹が関わります。

呼吸は自律神経の状態を反映します。

これらを一つひとつ見ているのではなく、

神経系全体がどれくらい余裕を持って環境を処理できているか

を見ています。

言い換えれば、「脳がどれくらい安全だと判断できているか」を推測しているのです。

 

 

 

治療で本当に変えたいもの

 

私は筋肉を緩めることだけを目的にはしていません。

もちろん局所の痛みには局所への治療も行います。

しかし、その先で目指しているのは、

脳の環境評価が少しでも変わること

です。

「まだ危険だ」

という評価が、

「思っていたより大丈夫だった」

へ変わる。

その積み重ねが、

姿勢を変え、

呼吸を変え、

筋緊張を変え、

痛みの感じ方を変えていく。

私はそのような流れをイメージしながら施術を組み立てています。

 

 

 

第4部(最終章)

 

治療とは「適応能力」を取り戻すこと

 

私が機能神経学を学び続ける理由

 

ここまで、

気象病をきっかけに、

動物行動学、

神経科学、

機能神経学という視点から、

脳がどのように環境を評価しているのかについて考えてきました。

もちろん、この記事で紹介した内容のすべてが現在の医学で証明されているわけではありません。

一方で、

動物行動学、

慢性疼痛研究、

予測処理理論、

神経可塑性、

機能神経学、

それぞれの知見を合わせて考えると、

私は日々の臨床で感じてきたことを一つの流れとして理解できるようになりました。

 

 

 

生物は「環境」に適応してきた

 

生物は約40億年という長い進化の中で、

環境へ適応しながら生き残ってきました。

暑い日もありました。

寒い日もありました。

雨もありました。

台風もありました。

食べ物が少ない時代もありました。

捕食者に追われることもありました。

つまり、

生物は

「変化しない環境」

ではなく、

「変化し続ける環境」

に適応できたからこそ生き残ってきたのです。

これは人間も例外ではありません。

 

 

 

現代人は「変化」を経験する機会が減っている

 

現在の生活は非常に快適です。

冷暖房があります。

車があります。

エレベーターがあります。

床は平らです。

夜でも明るく生活できます。

この恩恵は計り知れません。

しかし一方で、

脳が自然環境の変化を経験する機会は少なくなりました。

風を感じる時間。

土の上を歩く時間。

木漏れ日の中を歩く時間。

雨の匂い。

鳥の声。

川の流れる音。

こうした入力は、

私たちの祖先にとっては毎日のように存在していました。

私は、

こうした自然環境との関わりも、

神経系の適応能力を支えてきた一つの要素ではないかと考えています。

もちろん、この点はまだ十分な科学的検証がなされておらず、現時点では私自身の仮説です。

 

 

 

治療とは「安全を教え込むこと」ではない

 

私は、

脳に

「安全ですよ」

と言い聞かせることが治療だとは思っていません。

脳は言葉では変わりません。

変わるのは

経験です。

「今日は思ったより歩けた。」

「昨日より痛くなかった。」

「雨の日でも買い物へ行けた。」

こうした小さな成功体験が、

少しずつ神経系の予測を更新していきます。

神経科学では、このような変化を支える背景として神経可塑性(Neuroplasticity)が知られています。

つまり、脳や神経系は経験によって機能を変化させる性質を持っています。

私は施術とは、

この神経可塑性が起こりやすい環境を整えることだと考えています。

 

 

 

なぜ私は眼球運動や姿勢を評価するのか

 

患者さんから、

「肩が痛いのに、なぜ目の動きを見るのですか?」

と聞かれることがあります。

その理由は、

痛い場所だけでは、

神経系全体の状態は分からないからです。

眼球運動には、

中脳、

橋、

小脳、

前庭系、

大脳皮質など、

非常に多くの神経ネットワークが関与しています。

姿勢も同じです。

歩行も同じです。

呼吸も同じです。

私はそれらを通して、

神経系全体がどれだけ余裕を持って環境へ適応できているか

を評価しています。

 

 

 

私が目指している治療

 

私は、

筋肉だけを緩めたいわけではありません。

骨格だけを整えたいわけでもありません。

神経だけを興奮させたいわけでもありません。

私が目指しているのは、

その人が本来持っている適応能力を発揮できる状態を取り戻すこと

です。

生物は本来、

変化する環境へ適応する能力を持っています。

その能力が十分に発揮できなくなったとき、

身体は痛みや疲労感、めまいなどを通して、

「今は少し慎重に」

というメッセージを出しているのかもしれません。

私は、その背景にある神経系の状態を理解し、一人ひとりに合わせた入力を選択することが、治療家としての役割だと考えています。

 

 

 

おわりに

 

この記事では、

気象病を入り口として、

動物行動学、

神経科学、

機能神経学を結び付けながら、

一つの考え方をご紹介しました。

繰り返しになりますが、

この記事の中には現在の研究で支持されている内容と、

私自身が臨床経験から考察している内容の両方が含まれています。

今後の研究によって修正される部分もあるでしょう。

しかし、

「痛い場所だけを見る」のではなく、

「生物として環境へどう適応しているのか」

という視点は、

これからの医療においても重要な考え方の一つになるのではないかと私は考えています。

これからも私は、機能神経学や神経科学を学び続けながら、一人ひとりの患者さんが本来持っている適応能力を最大限に引き出せる治療を目指していきたいと思います。

 


参考文献

  • Sterling P, Laughlin S. Principles of Neural Design. MIT Press, 2015.
  • Friston K. The free-energy principle: a unified brain theory? Nature Reviews Neuroscience. 2010;11(2):127–138.
  • Friston K, Parr T, de Vries B. The graphical brain: belief propagation and active inference. Network Neuroscience. 2017.
  • Clark A. Surfing Uncertainty: Prediction, Action, and the Embodied Mind. Oxford University Press, 2016.
  • Moseley GL, Butler DS. Explain Pain Supercharged. NOI Group, 2017.
  • Butler DS, Moseley GL. Explain Pain. NOI Group, 2013.
  • Tracey I, Mantyh PW. The cerebral signature for pain perception and its modulation. Neuron. 2007;55:377–391.
  • LeDoux JE. Anxious: Using the Brain to Understand and Treat Fear and Anxiety. Viking, 2015.
  • Barrett LF. How Emotions Are Made. Houghton Mifflin Harcourt, 2017.
  • Sapolsky RM. Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst. Penguin Books, 2017.
  • Damasio A. The Feeling of What Happens. Harcourt Brace, 1999.
  • Barrett LF, Simmons WK. Interoceptive predictions in the brain. Nature Reviews Neuroscience. 2015;16:419–429.

 

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