はじめに
「こんな場所の痛み、どこに相談したらいいのか分からなくて……」
そう話されたのは、70代の女性主婦の方でした。
声は落ち着いているものの、言葉を選ぶような間がありました。
陰部の痛み。
それも、ヒリヒリとした灼熱感。
誰にも相談できず、
「年齢のせいかな」
「気にしすぎかな」
そうやって2年近く、ひとりで抱えてこられた症状でした。
お話を伺うと、症状の始まりは約2年前。
「最初は右側だけだったんです。
座っていると、なんとも言えないヒリヒリした感じがして……」
当初は軽い違和感。
長く座ると気になる程度で、立ち上がると少し楽になる。
しかし時間の経過とともに、その感覚は灼熱感へと変わっていきました。
そして最近になって、左側にも同じような感覚が出現。
「両方になってきた時に、
これはさすがにおかしいな、と思いました」
もう一つ、特徴的だったのは時間帯です。
- 日中、特に座っていると強く感じる
- 就寝中はほとんど感じない
- 痛みで目が覚めることはない
この時点で、「炎症や単純な末梢神経障害だけでは説明しきれない」という印象を持ちました。
痛みがあるなら、夜も辛いはず。
それなのに、眠れている。
この「差」が、後に重要なヒントになります。
実はこの方、当院に来られるまでに、すでにいくつかの医療機関を受診されていました。
陰部の症状については婦人科を受診。
内診や画像検査を含めた評価を受けましたが、
「炎症や腫瘍など、
病理的な異常は見当たりません」
という説明だったそうです。
また、ふらつきや回転性のめまいに対しては耳鼻科でも検査を受け、
聴力検査や平衡機能検査を含めて評価されたものの、
「耳の中に明らかな異常はありません」
との結果。
いずれも「異常なし」。
命に関わる病気が否定されたという意味では安心材料ですが、
一方で、
「じゃあ、この違和感は何なんでしょうか……」
という、行き場のない不安だけが残った状態でもありました。
もう一つの悩み めまいと浮遊感
さらに詳しくお話を伺うと、陰部の症状とは別に、
-
ふわっとする浮遊感
-
ときどき回転するようなめまい
こうした前庭系の症状も長年感じておられました。
「歩いていると、
地面が少し揺れるような感じがすることがあって……」
陰部神経痛とめまい。
一見、関係なさそうな2つの症状。
しかし、ここに今回の症例の核心が隠れていました。
検査で見えてきた「共通の土台」
検査では、局所だけでなく神経系全体の働きを確認していきました。
前庭・小脳系の検査
- VOR(前庭動眼反射):左右差あり
- OPK(視運動性眼振):反応低下
- ロンベルグテスト:左右差あり
- 継足歩行:ふらつき
- オルタネイト検査:明確な左右差
前庭系と小脳系の統合機能低下がはっきりと見られました。
眼球運動の評価
- パースート(追視)でサッケード混入
- オーバーシュート
- 輻輳反射の左右差
- 瞳孔不同
眼の動きは、脳の状態を映す“窓”のようなものです。
そこには、「調整がうまくいっていない」というサインが現れていました。
自律神経の“左右差”というヒント
さらに、
-
血圧:やや高値+左右差
-
酸素飽和度:上昇がゆっくり、左右差あり
これらは、自律神経の調整が均等に働いていないことを示唆します。
体は本来、
左右・上下・前後のバランスを取りながら安定しています。
しかしこの方の場合、
その水平器が少し傾いたまま固定されているような状態でした。
陰部神経は「局所」だけの問題ではなかった
陰部神経は、骨盤の奥深くを走る、とても繊細な神経です。
ですが今回のケースでは、
-
陰部神経そのもの
-
骨盤・仙骨周囲
-
それらを統合的に制御する中枢神経系
この三層構造で負担が重なっていたと考えられました。
例えるなら、
神経は「配線」
脳は「司令塔」
小脳と前庭系は「調整役」
調整役が疲弊すると、
配線にノイズが入り、
本来なら気にならない刺激が「痛み」として認識されます。
施術について
なお、当院では陰部神経痛に対して、
陰部そのものに直接施術を行うことはありません。
本症例では、陰部神経の走行や骨盤・仙骨周囲の状態、
さらに神経調整に関わる中枢神経系の評価をもとに施術を行いました。
施術方針 静かに、しかし確実に
施術は以下を軸に行いました。
-
陰部神経ポイントへの刺鍼
-
骨盤背部、特に仙骨周囲への刺鍼
-
機能神経学的アプローチ(前庭・眼球運動・小脳系)
刺激は強くしすぎず、
「神経に安心を伝える」ことを最優先にしました。
「あれ、今日は少し楽かも」
週1回の施術を開始。
1回目、2回目では大きな変化はありませんでしたが、
3回目を過ぎたあたりで、こう言われました。
「そういえば、
座っている時間が少し長くなっても平気でした。」
7回目までは、症状は順調に軽減していきました。
そして、突然の増悪
ところが
8回目前後で、突然の症状増悪。
「先生、またヒリヒリが戻ってきて……
なんだか前より気になる気もします」
検査上、大きな悪化所見はありません。
原因は特定できませんでした。
しかしこれは、神経の再編成過程でよく見られる反応でもあります。
悪化ではなく、神経が新しい状態に切り替わる途中の反応でした
神経は、変わるときに一度振幅があります。
長年慣れ親しんだ不安定な状態から、
新しい安定へ移行する途中。
古いクセが顔を出すことがあります。
波が静まる前に、
一度だけ大きく揺れるように。
そのため、施術は中断せず、
微調整しながら継続しました。
3カ月後 今の状態
施術開始から3カ月。
現在、
- 強い灼熱感は消失
- 軽い違和感が出る日もあるが、すぐ治まる
- 日常生活に支障はなし
- めまい・浮遊感も大きく軽減
「あの頃みたいに、
座るのが怖い、って感じはなくなりました。」
穏やかな笑顔で、そう話してくださいました。
この症例が教えてくれたこと
陰部神経痛は、
「その場所だけ」の問題ではないことがあります。
- 前庭系
- 小脳
- 眼球運動
- 自律神経
これらが複雑に絡み合い、
“結果として”陰部に症状が出ている場合もある。
体はいつも、全体でバランスを取ろうとしています。
その声に、丁寧に耳を傾けること。
それが、回復への近道になることもあるのです。
おわりに
「原因不明」と言われた症状にも、
体の中ではちゃんと理由があります。
それは、まだ言葉になっていないだけかもしれません。
この症例が、
同じような不安を抱える方の
小さなヒントになれば幸いです。
参考文献・出典
-
Robert W. Baloh, Clinical Neurophysiology of the Vestibular System, Oxford University Press
-
Eric R. Kandel et al., Principles of Neural Science, McGraw-Hill
-
Shacklock M., Clinical Neurodynamics, Elsevier
-
Hodges PW, et al. “Interaction between the nervous system and pelvic floor function.”
-
Purves D. et al., Neuroscience, Sinauer Associates