
はじめに
「胃が痛い」「みぞおちの奥が重い」といった不快感を感じたとき、多くの人は胃の病気を疑うでしょう。
確かに、胃炎や胃潰瘍、機能性ディスペプシア(機能性胃腸症)などが原因の場合もありますが、検査で異常が見つからないことも少なくありません。
こうした「内臓には異常がないのに胃のような痛みがある」ケースでは、筋肉の緊張や姿勢の問題が関係していることがあるのです。特に注目すべき筋肉が「大腰筋(だいようきん)」です。

大腰筋とはどんな筋肉?
大腰筋は、腰椎(背骨の腰の部分)から始まり、骨盤の奥を通って太ももの内側(小転子)につながっている筋肉です。
この筋肉は、主に以下のような働きをしています。
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上半身を安定させる
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太ももを持ち上げる(股関節の屈曲)
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背筋をまっすぐに保つ
つまり、大腰筋は姿勢を保つ深層筋(インナーマッスル)であり、長時間の座位姿勢や運動不足、過剰な緊張によって負担がかかりやすい筋肉です。

大腰筋の緊張が「胃のような痛み」を引き起こす?
実は、大腰筋の奥深くにトリガーポイント(筋肉の過緊張によってできる圧痛点)ができると、その関連痛が腹部やみぞおちの奥の不快感として現れることがあるのです。
このような痛みは、次のような特徴を持ちます。
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胃の奥の方が張っている・重い
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みぞおちの内側が詰まっているような感覚
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姿勢によって症状が変化する(例:前かがみで悪化)
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胃薬が効かない
これは、大腰筋と内臓(とくに胃)の神経が、脊髄の似た領域から派生しているためです。
脳は筋肉からの信号と内臓からの信号を混同し、「胃が痛い」と誤って解釈してしまうことがあります。これを関連痛(referred pain)と呼びます。

筋筋膜性疼痛症候群とトリガーポイント
このような筋肉由来の痛みの代表的な病態が、筋筋膜性疼痛症候群(Myofascial Pain Syndrome, MPS)です。
MPSでは、筋肉にできたトリガーポイントが、直接その部位だけでなく、離れた場所にまで痛みや不快感を放散(関連痛)させることが知られています。
大腰筋のトリガーポイントは、その深さと位置のために見逃されやすく、腹部臓器由来の痛みと誤診されやすいのが特徴です。
トリガーポイント鍼治療の有効性
こうした大腰筋のトリガーポイントによる痛みに対して、鍼(はり)治療は非常に有効とされています。
特にトリガーポイント鍼療法(Dry Needlingや局所筋鍼刺激)は、直接トリガーポイントに細い鍼を刺入して刺激し、筋肉の緊張を緩める治療法です。
鍼が効く理由
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筋肉の異常収縮を解除する
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トリガーポイントに鍼を刺すことで、筋線維の異常な緊張を解き、血流を改善します。
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局所の炎症物質や発痛物質を排出する
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鍼刺激によって放出された「筋スパズム」により、蓄積した乳酸やブラジキニンなどの物質が代謝されやすくなります。
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感覚神経の過敏状態をリセットする
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トリガーポイントは神経の興奮状態と関連しています。鍼による機械的刺激は、局所の神経活動を一時的に抑制し、痛覚閾値を正常化します。
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深部の筋肉(=大腰筋)に安全にアプローチできる
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鍼は手技療法やストレッチでは届きにくい深部筋にピンポイントで刺激を与えることができます。
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これらの作用により、大腰筋由来の腹部不快感や「胃のような痛み」は、薬に頼らず改善する可能性があります。
症状の見極めが重要
ただし、胃の痛みには実際に胃潰瘍やピロリ菌感染、胃がんなどの重大な病気が隠れていることもあります。以下のような症状がある場合は、まず内科での検査を受けるべきです。
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食後や空腹時に強くなる痛み
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黒い便(タール便)
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吐き気・嘔吐を伴う
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体重減少
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40歳以上で初発の症状
検査で異常がなかった、または「異常が見つからないけど不快感が続いている」といった場合には、大腰筋などの筋肉由来の原因も視野に入れることが重要です。
おわりに
「胃が痛い」と感じると、つい胃そのものに原因を探しがちです。
しかし、体は1つのシステムとしてつながっており、筋肉の緊張が内臓感覚に影響を与えることもあるのです。
とくに姿勢の悪化やストレス、運動不足などが続いている方は、大腰筋の疲労やトリガーポイントの形成によって、思わぬところに痛みを感じる可能性があります。
そのようなときには、トリガーポイント鍼治療という選択肢が、薬に頼らない根本的な改善法となりうるのです。
主な参考文献・出典
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