
1. はじめに
こんにちは。大阪府枚方市の「はる鍼灸整骨院」院長の島井 浩次です。
当院では、鍼灸と機能神経学を組み合わせた施術で、痛みやしびれはもちろん、めまいやふらつき、自律神経の不調にも対応しています。
今日は、40代の女性患者さんが「夕方になると世界が揺れる」というつらい症状から回復されたストーリーをご紹介します。
この物語は、当院で実際に行った問診や検査結果をもとに構成しています。
プライバシー保護のため一部脚色しておりますが、症状や施術経過は実際の臨床例に基づいています。
2. 夕方の台所で始まる「世界の揺れ」
仕事が終わり、保育園に通う下の子を迎えに行き、小学生の上の子と一緒に帰宅。
台所に立ち、夕食の支度をしていると、ふと「ん?」と思う瞬間がやってきます。
視界の端がふわっと揺れるような感覚。
足の裏はスポンジを踏んでいるようで、床との距離がつかめない。
肩から首にかけては、仕事中から溜まった凝りが重くのしかかり、左耳は詰まったような閉塞感。
頭の奥でじわじわと痛みが広がり始め、やがて胃の奥からこみ上げるような吐き気に変わっていく。
「また来た…」
そう思いながらも、家族のために包丁を握り続ける。
その時間は、楽しいはずの家族の夕食準備が、耐える時間になっていました。
3. 病院での検査と「異常なし」の結果
症状が続く中、患者さんはまず脳神経内科を受診しました。
医師は念のため脳のMRIを撮影しましたが、「構造的な異常は見当たりません」との結果。
脳梗塞や脳腫瘍などの命に関わる病気ではないとわかり、一安心はしたものの、症状の原因は不明のままでした。
次に耳鼻科を受診。
三半規管や聴覚の検査も受けましたが、「平衡機能も聴力も正常です」と説明を受けました。
原因が見つからないまま家に帰ると、「この揺れと吐き気はいったい何なの?」という不安だけが残りました。
4. 仕事と家庭の二重負荷
この患者さんは、40代・会社員・二児の母。
平日はほぼ1日中PCに向かい、社内の空調と蛍光灯に囲まれたオフィスで仕事をこなします。
午後になると肩や首がどんどん重くなり、夕方には頭痛や耳の閉塞感、ふらつきがピークに。
定時になれば、仕事から母親モードに切り替わり、保育園と学童のお迎え、買い物、夕食準備と休む間もなく動き続けます。
そんな中で、決まって夕方から夜にかけて症状が悪化するのは、本人にとっても大きな謎であり不安の種でした。
5. 当院での初診検査
初診時の神経学的検査では、以下の所見が得られました。
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眼球運動検査
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パスート(滑らかな追視):右方向でオーバーシュートあり
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サッケード(素早い眼球運動):右方向でオーバーシュート
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輻輳(寄り目):異常なし
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平衡機能検査
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継足歩行:大きく動揺し、まっすぐ歩けない
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片足立位:両足とも不安定だが右は特に立てない
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協調運動検査
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指鼻指:右でオーバーシュート
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オルタネイト:異常なし
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感覚検査
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右足底の触覚が弱い(同じ強さでも右は鈍く感じる)
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顔面の痛覚に左右差あり
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これらは右小脳半球の機能低下を示唆していました。
6. 小脳と前庭系の働き
小脳は、運動やバランスの司令塔です。
耳の奥にある前庭器官(三半規管・耳石器)からの情報を受け取り、眼や首、体幹、足の筋肉を微調整します。
特に片葉・小節葉(前庭小脳)は、前庭系と直接やり取りしながら、平衡感覚と眼球運動を制御します。
7. 足底感覚の役割
小脳は前庭情報だけでなく、足の裏からの固有感覚も利用します。
足底感覚は「床の硬さ」「傾き」「接地の圧力分布」など、バランス維持に欠かせない情報です。
今回の患者さんでは、右足底感覚が弱く、この入力の不正確さが全身の平衡制御をさらに難しくしていました。
8. 吐き気のメカニズム(車酔いの例を含む)
右小脳が機能低下すると、右前庭系と右足底感覚の処理が不正確になり、感覚のズレが生じます。
このズレは脳幹の前庭神経核で処理されますが、左右の情報や足底の情報が一致しないため、脳幹が混乱します。
この混乱が延髄の嘔吐中枢(孤束核・最後野)を刺激し、吐き気が生じます。
これは車酔いと同じ仕組みです。
車内でスマホを見ていると、目は「止まっている」と認識しますが、前庭系は「揺れている」と感知します。
この視覚と前庭感覚の不一致が嘔吐中枢を刺激するのです。
今回のケースでは、
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視覚情報
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前庭情報
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足底感覚
この3つの統合がうまくいかず、“脳が車酔いしているような状態”が夕方に強く出ていました。
9. なぜ夕方に悪化するのか
神経はエネルギー(ATP)が不足すると、信号処理の正確性が落ちます。
PC業務や姿勢維持によって前庭系・小脳が酷使され、日中の代謝疲労が夕方にピークを迎え、感覚のズレが拡大。
その結果、吐き気やふらつきが強くなります。
10. 当院での施術内容
施術は週1回、計12回行いました。
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鍼灸
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首肩の過緊張緩和
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顔面や足底への感覚入力刺激
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自律神経調整
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機能神経学
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右小脳への特異的刺激
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バランス訓練
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眼球運動の再教育
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11. 回復経過
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1〜3回目:頭痛・肩こり軽減、ふらつき減少
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4〜7回目:夕方の吐き気がほぼ消失
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8〜10回目:バランス改善、足底感覚が安定
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11〜12回目:全症状消退
12. 患者さんの声
「夕方になると『また来るかも…』と不安でしたが、今は普通に過ごせます。
子どもたちと夜に笑って過ごせる時間が増えました。」
13. まとめ
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小脳は前庭情報と足底感覚を統合してバランスを保つ
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機能低下や感覚のズレは嘔吐中枢を刺激し吐き気を起こす
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車酔いと同じメカニズムで夕方に悪化しやすい
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鍼灸+機能神経学で感覚統合と神経機能を改善可能
夕方になると強くなるふらつきや吐き気、頭痛、耳の閉塞感。
検査では「異常なし」と言われても、毎日の生活は苦しいものです。
周りからは理解されにくく、「気のせいかも」と自分を責めてしまう方も少なくありません。
今回ご紹介した患者さんも、まさに同じ思いを抱えて来院されました。
症状の原因が“耳だけ”でも“脳だけ”でもなく、
小脳や前庭系、足底感覚の情報処理のバランスの乱れにあったように、
不調の背景には複数の要因が複雑に関わっていることが多いです。
私たちは、神経学的な検査と鍼灸を組み合わせ、「あなたの症状の本当の原因は何か」を一緒に探します。
そして、単なる痛みやめまいの抑え込みではなく、根本から神経の働きを整えるアプローチを行います。
もし今、この症状があなたの生活や笑顔を奪っているのなら、どうか一人で抱え込まないでください。
原因が分かれば、改善の道は必ずあります。
「もう夕方が怖くない」
そう思える毎日を、一緒に取り戻しましょう。
参考文献
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Manto M, et al. The cerebellum, cerebellar disorders, and cerebellar research—two centuries of discoveries. Cerebellum. 2012.
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Ito M. Control of mental activities by internal models in the cerebellum. Nat Rev Neurosci. 2008.
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Schmahmann JD. Disorders of the cerebellum: ataxia, dysmetria of thought, and the cerebellar cognitive affective syndrome. J Neuropsychiatry Clin Neurosci. 2004.
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Glickstein M, Doron K. Cerebellum: connections and functions. Cerebellum. 2008.
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Morton SM, Bastian AJ. Mechanisms of cerebellar gait ataxia. Cerebellum. 2007.