〜「夜が怖い…」から「朝が楽しみ」に変わるまで〜

はじめに:産後の夜が、恐怖だった
こんにちは。はる鍼灸整骨院 院長の島井浩次です。
当院では、鍼灸と機能神経学を組み合わせた施術を通して、原因がはっきりしない体の不調や、慢性的な症状に悩む方々のサポートをしています。
特に、産後のママたちに多い「眠れない」「頭が痛い」「疲れが抜けない」といった、“わかってもらいにくいつらさ”に向き合うことを大切にしています。
今回ご紹介するのは、出産後に強い不眠と頭痛に悩まされていた女性・Aさんの回復ストーリーです。
「夜がくるのが怖いんです…」
初めてお会いしたとき、Aさんのこの言葉がとても印象的でした。
出産から数ヶ月。赤ちゃんは日に日に成長していく一方で、自分の体はどんどん疲弊していく。眠りたいのに眠れない。やっと寝たと思ったら、頭が締めつけられるような痛みで目が覚める——そんな日々が続いていました。
「私、壊れていくのかな…」
そんな不安が、心と体の奥底に静かに、でも確実に積もっていっていたのです。
本記事では、鍼治療と機能神経学のアプローチを用いて、Aさんがどのように不眠と頭痛から回復していったかを、ひとつのストーリーとしてお伝えします。
もし、あなたやあなたの周りにも同じような悩みを抱えている方がいれば、少しでも光を感じていただけたら嬉しいです。
産後の「不調」は、よくあること…では済まされない
産後の女性の多くが、体や心に何らかの不調を感じています。
特に多いのが、不眠と頭痛。
夜中の授乳や寝かしつけ、突然の夜泣き。
さらに、ホルモンバランスの激変や生活環境の変化が重なり、「まともに眠れた記憶がない」と訴えるママは少なくありません。
でも、Aさんの場合は少し違いました。
ただの「寝不足」では片づけられない、体の奥からくる異常なほどの疲労感と、毎晩訪れる締めつけられるような頭痛。
「私だけおかしいのかな?」
「産後うつなのかも…」
誰にも言えず、病院でも「異常なし」と言われてしまう。
そんなAさんが、なぜ回復できたのか——そのカギは、「神経」にありました。
Aさんの来院時の状態
Aさんは、出産後半年が経過した頃、当院にいらっしゃいました。
主な症状:
- 入眠困難(布団に入ってから2時間以上眠れない)
- 頭部を締めつけるような頭痛(後頭部〜側頭部)
- 日中の強い倦怠感、集中力の低下
- 頻繁な動悸と軽いめまい
- 「常に緊張している」感じが抜けない
他院での対応:
-
脳MRIや血液検査では異常なし
-
睡眠導入剤と頭痛薬が処方されるも、あまり効かず
回復の第一歩:神経系を“見て”治すという考え方
Aさんに行ったのは、一般的な肩こりや筋肉疲労に対する施術ではなく、「神経系の働きの乱れ」に焦点を当てたアプローチでした。
現代は、「神経の働き=電気配線」のように考えられがちですが、実際にはもっと複雑で繊細です。
具体的には、次のようなポイントを評価しました:
-
脳幹(特に青斑核)の過覚醒
→ 交感神経が常にON状態になっていた -
眼球運動の異常
→ 対光反射・眼球のスムーズな追従性の低下 -
呼吸パターンの乱れ
→ 胸式優位、横隔膜の動きが小さい -
姿勢と前庭系のアンバランス
→ 骨盤が後傾し、重心が不安定
鍼治療と機能神経学的アプローチの融合
鍼治療で行ったこと
Aさんの体は、触れるとすぐにピクっと反応するほど敏感でした。そこで、まずは副交感神経を穏やかに刺激するため、以下のポイントに鍼を行いました
- 百会・印堂(前頭部の過覚醒を抑制)
- 肝兪・脾兪(自律神経の中枢である肝経・脾経の調整)
- 足三里・三陰交(胃腸の調整と血流改善)
※使用する鍼は非常に細く、ごく浅い刺激での施術です。
神経学的アプローチで行ったこと
- 眼球運動トレーニング(追視・サッケードなど)
- 呼吸パターン修正(腹式呼吸の誘導)
- 前庭反射のリトレーニング(片足立ち、眼球固定)
- 軽度の脳幹刺激(耳介の迷走神経刺激)
「あれ、昨日ちゃんと眠れたかも」…変化は3週目から
施術開始から2〜3週目、Aさんがぽつりとこんなことを言いました。
「昨日、夜中、1回子供に起こされはしましたが、寝ている間はすごく深い眠りだった気がします」
最初は、「たまたまかも」と話していましたが、その“たまたま”が徐々に増え、やがて「寝るのが怖くない日」が増えていきました。
同時に、頭痛の頻度も週4→週1以下に。
表情も明るくなり、会話の中に笑顔が戻ってきたのが印象的でした。
神経の“誤作動”が不眠と頭痛を引き起こす
ここで少し、専門的なお話をさせてください。
1. 脳幹と青斑核の過活動
青斑核は「警戒モード」をつかさどる場所。
ストレスや不安が続くと、ここが過敏になり、交感神経が常時ONになります。
眠りたいのに眠れないのは、この“見えない警報装置”が鳴りっぱなしだからです。
2. 眼球運動と大脳皮質
眼球は「脳の窓口」です。眼球運動が乱れている人の多くは、大脳皮質(特に前頭葉や頭頂葉)の活動も低下しています。
これは、情報処理や感情の安定に関わる重要な部位で、機能低下により「イライラ」「頭痛」「注意散漫」などが起こります。
3. 呼吸と自律神経
胸式呼吸が優位になると、身体は“戦闘モード”に入りやすくなります。
逆に、腹式呼吸は副交感神経を優位にすることで、身体に「休んでいいよ」と伝えてくれます。
Aさんは、意識的な腹式呼吸を習得したことで、睡眠の質が大きく改善しました。
Aさんの“その後”の変化
約3ヶ月の継続施術を経て、Aさんの状態は次のように変化しました。
項目 | 初回来院時 | 3ヶ月後 |
---|---|---|
入眠までの時間 | 約2時間 | 約15分 |
頭痛の頻度 | 週4回以上 | 月1〜2回 |
倦怠感 | 強い | ほぼ感じない |
表情 | こわばりあり | 柔らかく自然 |
自己評価 | 「壊れていく」 | 「自分に戻れた」 |
「今は、朝までぐっすり眠れるって、こんなにありがたいことだったんですね」
そう語るAさんは、まさに“本来の自分”に戻ったようでした。
最後に:ママの笑顔が、家族の安心
産後の不眠や頭痛は、「がんばりすぎた証拠」かもしれません。
でも、本当に大切なのは、ママが自分を大切にすること。
当院の施術は、マッサージや鎮痛剤とは違い、「なぜ不調が起こっているのか」を神経の働きから丁寧に見つめ、ひとつずつ整理していくものです。
もし、あなたが今つらさを抱えているなら、決してひとりで抱え込まないでください。
不眠や頭痛が、脳と神経の“誤作動”によって起きているなら、回復の道は必ずあります。
参考・出典論文
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Aston-Jones G, Cohen JD. "An integrative theory of locus coeruleus-norepinephrine function: adaptive gain and optimal performance." Annu Rev Neurosci. 2005;28:403-450.
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Craig AD. "How do you feel—now? The anterior insula and human awareness." Nat Rev Neurosci. 2009;10(1):59-70.
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Critchley HD, Harrison NA. "Visceral influences on brain and behavior." Neuron. 2013;77(4):624–638.
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Porges SW. "The polyvagal theory: new insights into adaptive reactions of the autonomic nervous system." Cleveland Clinic journal of medicine. 2009;76(Suppl 2):S86.
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Levin BE. "Neurophysiology of sleep and wakefulness." Clin Chest Med. 2010 Mar;31(1):1-13.