
はじめに
「パソコン仕事が好きなはずなのに、最近はモニターを見つめるのがつらいんです」
初めてお会いしたとき、彼は少し疲れた笑顔でこう話しました。
40代、建築デザイン会社を経営する男性。店舗内装のデザインや間取り図、設計図を描くのが天職だと言います。
「自分が描いた線が現場で形になる瞬間が、何より楽しいんです」
そう語る表情には、仕事への強い誇りがにじんでいました。
しかし。
ここ数カ月、首のこりが痛みに変わり、パソコンに向かうたびにふわふわするめまいと耳鳴りが襲うようになったそうです。
「設計を進めたいのに、首が痛くて集中できないんです。」
「モニターを見ていると体がふわっと浮くようで、怖くなる時もあって…」
彼はパソコン作業が好きだからこそ、仕事を手放すことができませんでした。
しかし、「仕事を続けたい気持ち」と「体がついていかない現実」の狭間で苦しんでいたのです。
1. 病院受診の重要性——「異常なし」はゴールではない
「まずは病院に行かれましたか?」とお聞きすると、彼はうなずきました。
整形外科や耳鼻科を受診したものの、異常所見は見つからなかったそうです。
ここで強調したいのは、
「病院で異常がない」と言われることは、決して無駄ではないということです。
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重大な病気が隠れていないことが確認できる(脳や内耳の疾患の否定)
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「命に関わる病気ではない」と安心できる
つまり、病院で異常がないと診断されて初めて、私たちは「機能的な問題」に目を向けることができます。
彼の場合も、重大な疾患がないとわかったうえで、私たちは「体の働きのズレ」に焦点を当てました。
2. 初回検査で見えてきた“原因の糸口”
◆ 姿勢とバランスのテスト
初回検査では、いくつかの神経学的検査を行いました。
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ロンベルグテスト(目を閉じて立つ検査) → ふらつきあり
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片脚立位 → 数秒でぐらつく
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オルタネイトテスト(交互に手足を動かす検査) → 動作がぎこちない
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継足歩行(かかとをつま先につけて歩く検査) → バランスが崩れる
これらは、前庭頸部反射(VCR)や小脳系の姿勢制御システムがうまく働いていないサインです。
◆ 触診で見つけたポイント
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後頭下筋群(首の奥にある深い筋肉) → 強い圧痛
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胸鎖乳突筋・肩甲挙筋 → 触れると強い張りと痛み
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咬筋や内側翼突筋(三叉神経支配の筋肉) → 圧痛あり
特に、内側翼突筋は耳鳴りに関与することがあり、さらに下顎は姿勢制御のスタビライザーとしても重要です。
つまり、首と顎の機能低下がめまいや耳鳴りの原因になっている可能性が考えられました。
3. なぜ首こりが“めまい”を引き起こすのか?
首には、「自分の頭がどこにあるか」を脳に伝えるセンサーが豊富に存在します。
これを「位置覚(固有感覚)」と言います。
ところが、首の筋肉が強くこり固まると、このセンサーが狂い、脳は「自分の頭がどこにあるか」を正確に把握できなくなります。
イメージするなら、
「曲がったアンテナでテレビを受信しようとしている状態」です。
画面が乱れるように、脳も正しい情報が入らずバランスが崩れ、ふわふわするめまいを感じやすくなります。
さらに、首からの異常な情報が前庭(内耳の平衡感覚)や小脳に悪影響を与え、めまいを悪化させることもあります。
4. 治療方針——鍼灸と機能神経学を組み合わせる理由
① 鍼灸治療
首や顎の筋肉を緩めるため、以下のトリガーポイント鍼を行いました。
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後頭下筋群・胸鎖乳突筋・肩甲挙筋 → 筋緊張を緩め、首の位置覚センサーを正常化
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咬筋・内側翼突筋 → 顎のスタビライザー機能を回復させ、耳鳴りへの影響を軽減
鍼治療は、筋肉の血流を改善するだけでなく、C線維(痛み・温度を感じる神経)を介して脳幹や自律神経にも作用するため、リラックス効果や神経調整にも役立ちます。
② 機能神経学アプローチ
神経機能を「再教育」するため、次のようなアプローチを組み合わせました。
視覚・前庭系トレーニング
目を追う動き(パースート)や固視訓練で、小脳と前庭系の調整を図る。
首の位置覚再教育
レーザーポインターを頭に装着し、壁のターゲットを狙う訓練を行い、首のセンサー機能を回復。
顎関節の軽いモビリゼーション
下顎が姿勢制御の安定装置として働くよう、軽い刺激を入れる。
5. 改善の経過と患者さんの声
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3回目の施術後
「パソコン作業後のふわふわ感が少し楽になった気がします」と変化を実感。 -
5回目の施術後
首の痛みが半減し、めまいもほとんど感じなくなる。耳鳴りの頻度も減少。 -
8回目終了時
「久しぶりに“パースを描くのが楽しい”と思えるようになりました」と笑顔を見せてくださいました。
6. 同じような症状でお悩みの方へ
もしあなたが、
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首のこりや痛みがひどい
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めまいや耳鳴りも出ている
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病院では異常なしと言われたが不安
という状況なら、まずは病院で重大な病気がないか確認することが大切です。
そのうえで、
「首や顎、姿勢制御の機能」を整えるアプローチ
が、あなたの症状を変えるカギになるかもしれません。
参考・出典論文
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Treleaven J. "Sensorimotor disturbances in neck disorders affecting postural stability, head and eye movement control." Manual Therapy. 2008.
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Branstetter BF, Weissman JL. "Ear pain and the temporomandibular joint." AJNR Am J Neuroradiol. 2005.
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Revel M, Andre-Deshays C, Minguet M. "Cervicocephalic kinesthetic sensibility in patients with cervical pain." Arch Phys Med Rehabil. 1991.
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Hulse M, Luyten A. "Neck proprioception and vestibular interaction." J Vestib Res. 2018.